空手「緑帯」へのチャレンジ。「同じ」の中にある「違い」に向き合う

お疲れ様です。

税理士の浅原です。

今週から来週にかけて、空手の昇級審査が行われます。

私は、空手を始めて今年で5年目になるのですが、

今回「緑帯」にチャレンジすることになりました。

要求される形と、4~5人との組手を、師範の前で披露することになります。

現在の私の帯色が「黄色」なので、

緑帯になれば、ワンランク上がることになります。

45歳の私には、まったくもってビックチャレンジです。

実際、私が所属している道場にいる緑帯の選手たちは、みな、バカ強いです。

到底、私では相手になりません。

いま、昇級審査について感じていることを、書いてみようと思います。

浜松駅南口のモニュメント。
楽器の街だから、音符とか楽譜を表現しているのでしょうか。
歯科医の診察時間を気にしつつ、南口を駆け抜ける。

緑帯は強い

日頃、緑帯の選手と組手をしていて感じるのは、

「私に対して、すごく手加減してくれている」ということです。

対して私は、「常に全力」です。

それでも、相手になりません。

まず、フィジカルが違います。

身長は、私より10センチくらい低いのに、体重は私とほとんど変わらないM田選手は、

どれだけ突きを入れても、決して下がりません。

突きへの耐性を高めるために、お互いにお腹をたたき合う練習があるのですが、

私はM選手にかなり強めの突きを入れているのに、M選手は顔色を変えずに、

手加減しながら私のお腹を突いてきます。(私は次第に顔色が悪くなってきます)

あと、M田選手は、異常に腕立て伏せのスピードが速いです。(早送り動画を見ているようです)

凄まじい腕力を誇る緑帯のN谷選手の突きは、

鉄の棒で突かれているかの如く、体を押し戻されるような威力があります。

(それで、私の肋骨を折ってからは、だいぶ手加減してくれるようになりました)

技以前に、体の強さが全然違います。

スタミナも、すごいです。

毎回、組手の練習では、連続で10人くらいに当たっていくのですが、

泣き言を言うこともなく、みなフルパワーでずーっとやり続けています。

(私は、4人目くらいから顔色が悪くなり、

終盤は、二日酔いのサラリーマンのようにフラフラになります)

見ていると、さすがに息は上がっているようですが、

息が上がった状態でも動き続けられるというのが、

ちょっと普通じゃないスタミナだな、と感じます。

モニュメントの接写。
急いでいるので、それどころではない。

私は強くなれたのか

多くの点で、まだまだ緑帯の選手にはかなわない私ですが、

それでも師範は

「浅原さんは、次の審査で緑帯にチャレンジするように」

といってくれました。

「中年から始めて、辞めることなく5年続いている」という点を、

評価してくれたのかもしれませんし、

「今の緑帯の選手にはかなわなくても、以前に比べて強くはなっているから、

これからも頑張って」

というメッセージかもしれません。

しかし、どう考えても、

「緑帯の選手に匹敵するくらいに強くなったから」

ということは、あり得ません。

フルコン空手なのに、

「組手の強さ」を置き去りにしてしまっては、説得力がなくなってしまう、

という心配が、頭をよぎります。

もっとも、よく考えてみると、

そりゃそうか、とも思います。

例えば、新人税理士もベテラン税理士も、

資格上でみれば、同じ「税理士」となります。

でも、新人税理士とベテラン税理士が、

能力や経験値において、まったく違う生き物であることは明白です。

共通項は、「同じ土俵の上にいる」、ということだけです。

そう、仮に私が緑帯になれたとしても、

あくまで私は「新人緑帯」にすぎません。

やはり「ベテラン緑帯」とは、歴然とした差があります。

でもそれは当然のことです。

同じ色の帯の中にも、グラデーションがある。

「生まれたばかりの硬くて濃い緑色の帯」もあれば、

「締め続けて、擦り切れて色あせた緑色の帯」もある。

「同じ」の中にも「違い」がある。

そう思って、その「違い」に、真摯に向き合っていけばいいのでしょうね。

まとめ

あまりにも自分の中で、「緑帯」に対する畏敬の念が強くて、

しかも、今度は私がその「緑帯」になるのかもしれないと思うと、

萎縮しそうなプレッシャーを感じていましたが、

動ける限りは、空手を続けていきたいので

あまり気負わず、のびのびやっていきたいと思います。