時間の提供が等価交換になるには

お疲れ様です。

静岡の税理士、浅原です。

かつて、税理士になる前に、サラリーマンをしながら、勤務先では一切仕事をせずに、

月給30万円をいただいていたことがあります。

朝、出勤して、昼食を食べて、夕方退勤して、勤務中は本を読んでいるだけで、

月給30万円です。

人によっては、天国でしょう。

私も一瞬、そう思いました。

でも結局、3か月で退社しました。

その時のことを書いてみます。

外回りの途中で、よく立ち寄る公園。
すでに、真夏の日差し。

給与は払うが、何もしてはいけない

その会社は、静岡市内の中小企業さんでした。

少し前に勤務していたベンチャー企業で、そこのベンチャー特有のワンマン風土が嫌になり、

転職した先です。※

※結局、その転職先も嫌になり、再びベンチャーに出戻りするわけですが。

当時の私は、税理士登録はしていなかったものの、税理士試験には合格しており、

経理業務の経験もあったため、年齢は30歳でしたが、転職はスムーズに進みました。

その転職先では、事務部門に配属されたのですが、いつまでたっても具体的な業務指示が来ません。

上司に、仕事の指示を出してほしい、と伝えても

「そのうち仕事が来るから、本でも読んでて」と言われて、

税務会計や法務の本を持参しては、読み込む毎日でした。

そのうち、持っていた実用書はあらかた読み切きってしまったので、

そのあとは推理小説を読んでいました。

その年は、インフルエンザが大流行した年でした。

その会社には、毎朝業務前に、

従業員が広場に集まり役員が訓示を言い渡す、という、朝のルーチンがあったので、

業務を探していた私は「ちょうどよい」と思い、役員の訓示が終わった後に、

「はいはいー、みなさんお知らせがありますー、

インフルエンザの流行が始まっていますので、消毒薬を各手洗い場に設置しておきますから、

手洗いうがいをしっかりして、各自、流行に備えてくださいー」と発言したのですが、

そのあと上司からは、「浅原くん、そういうことはやめてくれ」と言われる始末でした。

とにかく、会社としては、私に何もさせたくなかったのでしょう。

その少しあと、12月上旬の早めの忘年会に呼んでいただいた私は、酒の席で、役員に対し、

「私、入社してから何の業務もしていないのですが、私に払っている給与、無駄じゃないですか?」

と尋ねたところ、役員からは、

「入社して早々、大事な業務に携わろうなんて、100年早い」と言われました。

早く仕事を覚えてスキルを上げたい、という私と、

浅原に仕事をさせるのは早い、という役員との、あまりのミスマッチに愕然としました。

図らずも「浅原にはまだ仕事を与えない」という役員の意向※が、忘年会の席で明確になってしまったため、

私はそのあとすぐ、退社することに決めました。

※今振り返ると、役員は、将来自らの息子たちに会社を継がせた後の補佐役として、私をあてがおうとしていたのでしょう。役員の年齢を考えれば、そう遠くない将来にそうなった可能性もあります。それでも、軍隊のような会社風土は、やっぱり私には合わなかったと感じます。

等価交換が原則

月額30万円の給与と、月200時間(8時間×25日)を交換することが、

私には、つり合いが取れているとは思えませんでした。

お金は、失ってもまた稼げば、取り戻すことができますが、

時間を取り戻すことだけは、絶対に不可能だからです。

人によっては、月30万円なら釣り合っている、もしくは、

十分に釣り合っていてお釣りも払える、という人もいるかもしれません。

仮に、その月200時間が、人とのコミュニケーションが盛んに行われ、人脈も増え、

仕事のスキルも身に付き、自分に自信が持てるようになる200時間であるなら、

私は月額20万円でもよかったかもしれません。

しかし、「時間は失うだけ、得るものはお金だけ」という状況に、

私は意味を見出すことができませんでした。

この時の経験から、私は

「等価交換でなければ、関係継続は難しい」と考えるようになりました。

私に限らず、

お互いに交換しあうものが「等価」でなければ、もしくは

「等価と感じられるもの」でなければ、

ビジネス上の関係は、短期で終了する可能性が高いでしょう。

誰にとっても重要なもの

とは言っても、価値の感じ方は、みな少しずつ違います。

何もって等価とするかは、その人が何を欲しているか、によって変わってきます。

お金持ちにとっての30万円と、貧しい人の30万円は、同じ30万円でも価値がかわってくるでしょう。

人気の住宅街にある50坪の土地も、

マイホームを持っている人にとっては単なる土地ですが、

マイホームを欲しがっている人にとっては、何としてでも手に入れたい土地となるでしょう。

しかし、『時間』だけは、だれにとっても、等しく重要です。

若者にとっての200時間と、お年寄りにとっても200時間は、等しく200時間です。

価値は等しいです。

むしろ、お年寄りの方が、残された寿命を考えれば、より大事に使いたい200時間でしょう。

「時間」。

それだけは、常に大切です。

「お金」は、

それ単体では、「時間」と等価にはなりません。

「お金」には、「感謝の気持ち」、または「成長の機会」、そういった+αがあって、

初めて時間と釣り合いが取れるようになる、と私は考えています。

昨日の仕事

  • 清水区江尻東のお客様の月次データの修正と報告
  • 清水区興津のお客様の月次データの入力
  • 新しいサービスについて考えてみる
  • 昨日の笑えたこと

歯を磨いているときに、嫁さんから、「時がたつのは早いね」と話しかけられたものの、

歯ブラシをこする音が脳内で反響していたため、「テクノカットは映えるね?」と聞き間違える。

確かに、テクノカットは映えるけど、夫婦の会話は噛み合わない。