独立したら、月曜日が嫌ではなくなった。根本的に異なる独立後の人間関係。

お疲れ様です。

静岡の税理士、浅原です。

独立する前は、月曜日がとても嫌でした。

会社勤務をしていれば、誰しも必ず経験する休み明けの憂鬱です。

しかし、独立してからは、月曜日が嫌ではなくなりました。

そのあたりの変化について、書いてみようと思います。

当時、日曜の夜は憂鬱でした。

月曜日が嫌なのは、働くのが嫌だからではない

「もう明日月曜だよ、土日が過ぎるの早いなー、嫌だー」、

という体が重くなるような感覚は、

サラリーマンをしている間は、私には、必ずついて回るものでした。

巷では、サザエさんシンドローム、とも呼ばれているようで。

長谷川町子も、あの世で迷惑がっているでしょうけど。

それは、フジテレビの番組編成の問題であって、

私の作品とは関係がないと。

私自身が不思議だったのは、

決して私は、働くことが嫌ではないのに、

なぜ月曜日に会社に行くことが嫌だったのか、ということです。

むしろ、働いて仕事を進めて、成果を上げていく、

というのは好きでしたし、

なんだかんだと出社して働き始めれば、

思い煩っていることも、気にならなくなっていきます。

嫌だ嫌だと駄々をこねたところで、月曜の朝は来てしまいますので、

当時はあまり、このことについて、深くは考えませんでした。

独立したら、「あいつ」がいない

独立したあとは、

月曜日が早く来てほしい、早く仕事を前に進めたい、

と思うようになりました。

独立して最初の1~2年は、

「何で土日あんだよ、土日いらねー」と思っていました。

(今はそんなことないです、休みの日は重要です)

私が休みを取らなかったとしても、

お客様や他の業者さんは、当然休みを取ります。

やはり周りが休みだと、

私の仕事も、一定以上は進まないので、

なんだかもどかしいな、と思っていました。

そして、そんな風な日々を過ごしながら、

あるとき、月曜が嫌だった理由に気付きました。

「そうか、あの〇〇部長と、もう関わらなくていいんだ」

私が今まで勤めてきた職場には、

必ず、絶対に相容れられない人がいました。

放送局勤務時代には、「△△△△部の△△副部長」

会計事務所勤務時代には、「××所長」

直近の勤め先には、「〇〇部の〇〇部長」

もちろん、

職場には相性のいい人ばかりいるわけでないことは、十分承知していますし、

共同作業をしていくうえでは、

自分を抑えて相手に合わせていくことが必要であることも、

理解していました。

実際、そういった調和を大事にする動きは、

最初に勤めた放送局時代よりも、

年を経るにつれて、自然とできるようになってきていました。

しかし、

どれだけこちらが譲っても、

どうしても受け入れられない種類の人がいることも、わかってきました。

一言でいえば、「暴力を信じている人」です。

××所長は、手は出さないものの、

スタッフを怒鳴る、吊るし上げるは日常でした。

〇〇部長に関して言えば、

自分の要求を通すための「威嚇行為」は常套手段でしたし、

その結果、自分に接してくるスタッフの若干おびえた態度を、

おもしろがっている面もありました。

私に至っては、酒の席で、〇〇部長に

「ちょっと今日は、お先に失礼させていただきます」と言っただけで、

顔を殴られました。

しかし、

会社に就職して働くとなると、

〇〇部長が、部長というポジションにいる限り、

どうしても共同作業を、避けて通ることはできません。

当時は、ハラスメントという言葉はあっても、

ほとんどお題目扱いで、

具体的な被害があっても、

真剣に職場環境を改善していこうという雰囲気ではありませんでした。

私は、女性が多い職場の男性管理職という立場でしたので、

せめてスタッフが嫌な思いをしないようにと、

〇〇部長とのやり取りは、私が全部引き受けていました。

そして、〇〇部長と接したくない、という思いも抑え込んで、

日々仕事をしていましたが、

とはいえ、〇〇部長が嫌だ、という思いが

なくなったわけではないので(むしろ増幅していったように思う)、

その思いが、私の脳裏に暗い影を落としていたのだと、

〇〇部長と接しなくなった後に、気づきました。

根本的に異なる人間関係

独立後の人間関係と、会社勤務時代の人間関係は、

大きく異なります。

根っこから違います。

会社勤務時代の人間関係は、「会社から割り振られ、かつ拒否できないもの」。

独立後の人間関係は、「自分で選び取っていくもの」。

自分自身を病気にさせてしまうような人間関係であったとしても、

組織にいる限りは受け入れていかなくてはなりません。

それゆえ、望まない人間関係を、

上手くいなす処世術のようなものが、

サラリーマンやOLさんには、重宝されるのでしょう。

私のように、あまり器用に振舞えない人間には、

そういった処世術のようなものは、無理でしたが。

これに対し、独立後の人間関係は、

自分で選び取っていくものです。

私には、

私を怒鳴ったり吊るし上げたりする人とは、

付き合わない自由がありますし、

私の顔を殴る人とは、

付き合いを拒否する選択権があります。

仮に、

私に落ち度があってそういうことになったとしても

(もちろん、落ち度があればお詫びします)、

いざというときに、コミュニケーションではなく、

暴力的手段を選ぶ傾向のある人とは、

付き合わないという決定をすることができます。

結果的に、私は会社から離れて独立したことで、

自分自身を救い出すことができたと実感しています。

まとめ

月曜日が嫌だということは、

火曜日も嫌だ、と思っているはずです。

ただ、火曜日が嫌だということが、それほど意識されないのは、

プールに飛び込んだ後、泳ぎ始めれば、

水の冷たさが薄れていくようなもので、

慣れてしまうのでしょう。

突き詰めれば、月曜日が嫌だということは、

平日毎日が嫌だということです。

もっと言えば、

月曜日が近づいてくるのを感じる日曜日だって、

すっきりしたものではないでしょう。

あまりにも、残念なことです。

月曜が嫌ではなくなった、というだけでも、

私は独立した価値があったと感じています。