借金が経営者を一人前にする。S山社長の言葉と私の借入実績

お疲れ様です。

静岡市の税理士、浅原慎一郎です。

私が以前、勤めていた会社で、財務部門の課長をしていたときに、

その会社のS山社長から言われた言葉があります。

「浅原よ、経営者を目指すなら、10億借りてようやく一人前だ」

当時、私は30~31歳くらいでしたが、S山社長は、私より3~4歳年上でした。

それくらいの年齢のときに、すでにS山社長は50億強のお金を銀行から借りて、

ご自身のビジネスを営んでいました。

現在の私は、当時のS山社長よりも10歳ほど年をとりましたが、

まだトータルでの借入金額は、10億円には達していません。

しかし、「借金によって一人前になる」という言葉の意味は、少しわかってきた気がします。

大晦日の夜、島田市の大井神社にお参りに行ってきました

私が借りてきたお金

私が金融機関からお金を借り始めたのは、社内税理士をやめて完全独立する1年前からです。

その頃から、アパート・マンションを使った賃貸経営には目を付けており、

将来多額の借入が必要になることは予想していました。

そして、多額の借入のためには、それに見合う手元資金も必要であることを、

財務部門の課長をしていた経験から知っていましたので、

最初に借りたお金は、「将来の借入の事前対策としての借入」でした。

私の借入実績は、次の通りです。

2010年・・・個人名義で600万円(政策金融公庫)

2011年・・・個人名義で9,500万円(地銀プロパー)

2011年・・・個人名義で1億円(地銀プロパー)

2011年・・・株式会社名義で2億8,500万円(地銀プロパー)

2012年・・・株式会社名義で6,000万円(信金プロパー)

2013年・・・株式会社名義で5,000万円(信金マルホ)

2013年・・・株式会社名義で7,467万円(信金プロパー)

2014年・・・株式会社名義で4,700万円(信金プロパー)

2016年・・・合同会社名義で4,770万円(信金プロパー)

2017年・・・株式会社名義で6,000万円(信金プロパー)

2018年・・・一般社団法人名義で4,300万円(信金プロパー)

2022年・・・一般社団法人名義で、3,600万円(信金プロパー)

合計で、9億437万円になります。

(住宅ローンは、金融機関の審査基準が違うので除いてあります)

30代そこそこの高卒の個人事業主に、よくこれだけお金を貸してくれたな、と、

今振り返っても思いますが、そこは単純に、

私が探してきた不動産に対して、融資に見合う担保価値を見出してくれたこと、と、

金融機関も貸し出し残高を伸ばしたかった、ということでしょう。

夜の神社は、趣があって見とれてしまいます

借金が経営者を一人前にする

冒頭のS山社長の「10億借りて一人前」という言葉の真意は、本人に確認するしかありませんが、

私なりの解釈を述べてみます。

ビジネスでお金を借りるには、取り掛かりから完済まで、非常に多くのプロセスがあり、

そのすべてのプロセスを成し遂げなければなりません。

ちょっと考えただけでも、次のようなプロセスが必要になります。

  • ビジネスプランを作成し、見ず知らずの金融機関の審査スタッフに、そのプランが、本当にビジネスとして成立すると信じてもらう
  • 実際にお金を借りてきて、自分のビジネスプランを実行する
  • ビジネスが想定どおりにいかない時も、軌道修正をしながら、ビジネスを継続させる
  • ビジネスで利益を出し続け、その利益を元手に、約束した条件で借金を返済する

どの段階でも、それぞれに非常に厳しい場面が訪れるであろう、ということが想定されます。

私の場合は、賃貸経営というわかりやすいビジネスモデルで、

かつ土地建物という担保を提供できたことにより、融資をスムーズに進められましたが、

まだ認知度が低いビジネスとなると、途端に融資のハードルが上がります。

しかし、手元資金がないならば、お金はどこからか借りてこなければなりません。

そして、無事お金を借りられたとしても、同じ条件で借り続けるためには、

返済の元手となる利益を出し続ける必要があります。

加えて、ビジネスの成績がどうであったかについて、

融資を受けた金融機関に、決算報告として説明する責任も生じます。

そうなると、そのビジネスは

「自分がやりたくてやっているんだから、好きにやらせてくれ」

という次元ではなくなります。

経営内容について質問されれば、相手が納得いく回答をする必要があります。

要するに、都合の悪いことから、逃げられなくなります。

そして、「逃げられない」、ということは、「戦うしかない」、ということです。

都合の悪いことに対し、「向き合って、戦って、乗り越えるしかない」、ということです。

「それらひとつひとつの困難を乗り越えて、借りたものを返しきる。

それを10億円分やったのなら、一人前として認めてやろう」

という意味だったのだろうと、私は解釈しています。

まとめ

S山社長を間近で見ていて、勉強になったことは多いです。

金融機関対応に関しての土台となる経験は、

S山社長とともに動きながら、積み上げてきました。

また別の記事で、S山社長から学んだことは紹介したいと思います。

借金返済に「ガマン」は不要。スモールビジネスは、自己中心的でいい