「コスパ」の存在意義

お疲れ様です。

静岡の税理士、浅原です。

30代は、コスパ重視の生き方をしてきました。

コスパに見合わないと判断したら、即切り捨て。

コスパに見合う見合わない、という判断基準が最優先でした。

しかし、40代の今は、コスパが最優先ではなくなりました。

コスパについて、思うことを書いてみます。

200円のガチャガチャの商品。
これはコスパ良しでした。

最近の反コスパ行動

わたしの最近のコスパに反する行動で、軽めのものは、つぎのようなことです。

  • 不織布マスクを手洗い

・・・ダイソーに行けば、30枚入り100円でマスクを買えるけど、不織布マスクを使い捨てにすることに引っ掛かって、その都度手洗いして2~3回は使いまわしている。

  • 普段着ないような柄のシャツを買う

・・・しゃれた服を着てみたい、という欲求が最近出てきて、着たことがないような柄のシャツを選んで買ってみた。選ぶのにすごく時間がかかった。その割には、たぶん使用頻度は少ないと思う。

また、以前からしている反コスパ行動は、次のようなものです。

  • 自分用の車を2台用意

・・・普段使いの電気自動車と、長距離移動が可能なガソリン車の2台体制。車を維持するのに、車検代、整備代、保険料、燃料代などがかかるので、どう考えても1台にした方がコスパは良い。だけど、ガソリン消費を抑えたいという一点にこだわり、現在の2台体制になった。

ブログ投稿も、週に5~6時間使ってしまうことを考えると、コスパ悪いんでしょうね。

コスパを気にしない、というわけではなく、コスパを気にしつつも、

意識してコスパに反する行動に取り組むようにしています。

コスパの適用範囲

様々な分野に、判断材料を提供してくれるコスパですが、

かつて、ニュースからの放送を聞いて驚いたことがあります。

「『結婚』はコスパが悪い」

最近の若い人は、結婚にまでコスパを求めるのか、と聞いて内心ビックリしました。

投下した価値に対して、どれだけの価値が戻ってくるか、という点を検証するのがコスパです。

その点からすると、ビジネスを離れたところの人間関係についてまでコスパを検証するのは、

コスパの適用範囲を拡大しすぎでしょう。

少なくとも「結婚相手」は、たくさんお金を出せばリターンの良い相手が見つかる、

というものではありません。

さらに「子育て」に至っては、コスパという物差しを持ちだしたら、

とてもじゃないけど、不合理なことばかりです。

自分でやってみて、日々、その不合理を実感しています。(家族のために働いているつもりなのに、家族から言われるのは、苦情や要望ばかり・・・)

それでも、今を生きる人々が存在しているのは、

太古の昔から先人たちが、コスパの悪い結婚や子育てに取り組んで、

命をつないでくれたおかげであることは、間違いありません。

資本主義経済が、あまりに幅を利かせすぎている、と感じました。

コスパは判断基準ではなく、判断材料

コスパについて考える上で、はっきりさせておきたいのが、

コスパは、「判断基準ではなく、判断材料のひとつである」、ということです。

「コスパは悪いけど、取り組んでみよう」とか、

「コスパは良いけど、会社の理念に合わないので、辞めておこう」とか、

そういう判断はあってもいいし、現にそのような判断をされている方たちはたくさんいると思うのですが、

その反面、コスパの良し悪しだけで、結論に至ってしまう場合も多々あります。

資本主義経済における目的は、より多くの資本を持つことなので、

出ていくお金を少なくできる、という判断要素が重宝されるのは理解できるのですが、

逆にコスパを上回る判断要素が少なすぎますね。

誤解を恐れずに言うと、コスパが登場した時点で、

ディスカッションは、急速につまらなくなります。

結論でちゃったね、みたいな。

本来なら、判断要素のひとつにすぎないコスパが、

判断基準に格上げされてしまった感じです。

コスパの存在意義

今のわたしにとってコスパは、自分の世界を広げるための「行動のきっかけ」です。

世界を広げるには、順コスパではなく、反コスパが役に立ちます。

反コスパのひとつである「コスパが良いけどやめておこう」は、

私の場合、主に石油製品を消費する場面で登場します。

まあ、実際のところ、プラスチック類をゼロにすることは、なかなかできないのですが、

それでも、代替するものが木製製品であれば、高くても、木製の方を選ぶようになりました。

また、もうひとつの反コスパである「コスパが悪いけどやってみよう」の方は、

突き詰めれば、その取り組みに「コスパを超える価値を感じるかどうか」ということです。

例えば、「サラリーマンが会社を退職して、独立開業を目指す」など、コスパ悪いの極みですよね。

どれだけパワーやリソースを投入しても、リターンの高い低いはおろか、

リターンの有無すら保証されないわけですから。

それでも、「コスパが悪いけどやってみたい」と思えるようなことに出会えたならば、

それはとても素敵なことです。

ぜひやってみるべきです。

コスパが幅を利かせる境界線から、はみ出すことができます。

「コスパ悪いけどやってみたいこと」に出会うためのコスパ。

というのが、いまのわたしのコスパの位置づけです。

昨日の仕事

  • 空手大会への応援

磐田の新極真の大会に、出場選手の応援に行く

N選手、M選手、ともに大健闘でした

今回わたしは、ギランバレーの影響で出られなかったけど、次こそは出ます

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