お疲れ様です。
静岡の税理士、浅原です。
100回目のブログの投稿が、去年の11月25日でした。
200回目の投稿は、本日です。
よって、100回分の投稿をするのに、9か月かかったことになります。
実際には、今年に入ってから、ブログ開始当初の中身スカスカな投稿を20件ほど削除しましたので、
この9か月で120件ほど投稿しているはずです。
(完全スカスカのみ削除しています、ややスカスカ、微妙にスカスカなどは、残してあります)
ブログを続けてきて感じたことを書いてみます。
目的は、「継続」そのもの
ブログ投稿の目的は、複数ありますし、ブログの効果も複数あると感じています。
両者まとめて列挙してみましょう。
- 税理士としての営業活動
- 税理士としての不特定多数の方への無料サービス
- 浅原個人としての表現の場(表現方法の練習の場)
- 浅原個人の思考の整理の場
- 同じく、思考の記録の場
- 思考を繰り返すことで、今後の方向性が明確になる
- 思考を深堀りすることで、新たな点に気付く
- アウトプット(投稿)を続けることで、日ごろからネタ探しの視線を持てる(なんとなく気になるものに、手を出してみるようになった)
- 平日午前中に、コーヒー飲みながら文章を書くのは、とても豊かな時間(気持ちにゆとりのあるときに限るけど)
まだほかにも探せばありそうですが、
つまりは、ブログの目的も効果も「ひとつではない」、ということです。
ですから、その日のブログ投稿が、すべての目的や効果にかかっていなくても、
どれか一つにかかっているならば、わたしにとって続ける価値のあるもの、と言えます。
逆に、ブログをやめてしまうと、これらの目的や効果が、一挙に失われてしまうので、
もうやめることはないでしょうね。
ユーチューブも始めたので、投稿の頻度は落ちるかもしれませんが、
ブログも続けていくことは決定しています。
続けること自体が、ブログの目的です。
書く作業と話す作業の違い
ユーチューブを始めたことで、「書く」と「話す」の違いが際立ってきました。
わたしは、フルコン空手を趣味でやっていますが、同じ勝負事に例えていうなら、
ブログは「将棋」、ユーチューブは「空手」です。
空手は、その場の流れの中で、自分の回答を出していかなくてはなりません。
考える時間は、与えてもらえません。
なんなら、相手によっては、考えさせないような流れを作り出されてしまうこともあります。
そして、考えている時間がないことから、「反応」で対処せざるを得ません。
考えなくても反応できるようにしていくこと。
それが、空手稽古の根底にあります。
それに対し、将棋は、同じ勝負事でも考える時間が与えられます。
じっくり考えていいわけですね。
回答を出すまでに考える時間の有無。
それは、方向性の違いを生みます。
「将棋=ブログ」では、ベストな一手が要求される。
言い方を変えると、「失策の許容範囲が少ない」、と言えます。
これに対し、「空手=ユーチューブ」では、
全体としてうまくできたのであれば、ところどころのマイナスポイントは致し方なし。
つまりは、「失策の許容範囲が広い」、ということです。
ユーチューブで、いちいち言い間違いを直していたら、いくら時間があっても足りませんし。
逆に、ブログでは、てにをはを間違えたら、ちゃんと直さないと、文章の意味が伝わりませんし。
書く作業とはかくなるものか、と感じているところです。
(全体としてうまくできなかった動画を、補足しようとした動画)
ただ「やってみたい」だけ
この数年、SNSの発達により、個人からの情報発信手段が強化されているのは、皆さんご承知のとおりです。
わたしはどちらかというと、そのSNSの波には乗らずにやってきたタイプです。
ブログを始めたのは去年、ツイッターも去年の年末ごろから。
インスタとユーチューブは今月から。
ここにきて、わたしが情報発信に力を入れているのは、
単純に「やってみたいと思ったから」というのが一番の理由です。
現在の若い世代の方たちにとって、SNSは物心ついたころから存在している情報サービスです。
わたしの子どもの頃に置き換えれば、テレビと同じでしょう。
テレビには、「見る側」と「出る側」があります。
わたしは、子どもの頃は見る側にいました。
社会人の最初の数年は、出る側(作る側)にいました。
(実際に、出たことも2回あります。緊張で、ひどい形相でしたが)
SNSにも同じような面があると感じます。
「見る側」と「出す側」。
同じやるなら、出す側もやってみたい。
突き詰めれば、ブログにしてもユーチューブにしても、
「やってみたいからやっている、それだけだな」、という感じ。
やってみたいのにやらないと、いつか後悔しそうですからね。
昨日の仕事
- 新しく買ったアパートのリフォーム打ち合わせ
レオパレスの物件は、本当に、手抜きがひどすぎる。
建物がかわいそう。