「決定の連続」が訓練になる。中年空手の効用

お疲れ様です。

静岡の税理士、浅原です。

現在も、趣味の空手を続けています。

仕事のために、好きなことを犠牲にしたくはない、とは思いつつも、

やはり仕事の遅れが目立ってくると、現実との折り合いをつける必要が出てきます。

さすがに、税理士の仕事が繁忙期を迎える冬の時期は、

いままでのようなペースで稽古に参加するのは難しくなり、

今月に入ってからは、道場のお子さまたちの指導だけにさせてもらっています。

そんな私の中年空手ですが、続けてきて良かったと思うことのひとつに、

「『決定』が習慣になる」というものがあります。

そのことについて、書いてみようと思います。

最近、時間がなくて、一般部での稽古ができていないので、少し物足りない

空手はストレスの連続

40歳から始めた空手ですが、自分でも「よく続いているな」と思います。

40代半ばの私には、稽古は毎回、どギツイです。

ところで、空手やボクシングなどの打撃系格闘技においては、生徒募集のうたい文句に、

必ずと言っていいほど「ストレス解消!」のフレーズが使われています。

確かに空手には、「ストレス解消」という面があるものの、

実際にやってみた感想としては、「ストレスの連続」でした。

「空手にまつわるストレスを、稽古の日まで、毎日毎日積み重ねていき、

そして稽古に参加した日の帰りに、ストレスが減っていることに気付く」、

というのが実感です。

要するに、空手で解消されるストレスは、

「空手をやっていることで発生するストレス」であって、

「仕事で抱えたストレスを、空手で解消できるわけではない」、

ということです。

(運動によって、仕事のストレスが軽減される、という面はあると思います)

決定の連続がストレスを生む

空手を始めてから3年ほどは、

なぜ空手で、こんなにストレスを感じるのだろうか、

と疑問に思っていました。

稽古を始めて3年目となると、1年目よりは動けるようにもなってきますし、

ともに稽古する仲間とも打ち解けてきますし、

ストレスに感じることは減っているはずなのに、

正直なところ、初年度に比べて、ストレスの感じ方は変わっていませんでした。

そこで、改めてストレスの原因について考えてみたときに、気が付きました。

空手を続ける、ということは「決定の連続」であり、

私は、「決定」をする都度ストレスを感じていたのだ、と。

例えば、空手に関する決定とは、次のようなことです。

  • (稽古終わりに)次の週の稽古に参加するかどうか、決める
  • (稽古の2~3日前に)次の稽古に、本当に参加するかどうか、決める
  • (稽古日の前日に)明日の稽古に、ほんとの本当に参加するかどうか、決める
  • (稽古日の朝)今晩の稽古に、マジで参加するかどうか、決める
  • (稽古日の昼頃)今晩の稽古には、行くしかない、と決める

(いま文章を読み返していて気づきましたが、結局当時は、直前になるまで、稽古に行く覚悟ができなかったようです。決めてきたつもりが、決めきれていない自分・・・)

  • (稽古当日の夕方)仕事を切り上げる時間を、決める
  • 一般部の稽古の中盤あたりで、最後に行う連続組手に参加するかどうか、決める
  • 連続組手の最中に、相手を見ながらどの程度の力の出し具合で行くか、決める
  • 連続組手の最中に、途中で切り上げるか、このまま最後まで組手稽古をやり続けるか、決める

(昨年から、少年部の指導をお手伝いさせてもらうようになったので、ようやく今では、参加するかどうかで迷うことはなくなりました)

中年の空手は、誰かに強制してやらされるものでありません。

嫌ならいつでも辞められます。

だからこそ、毎度毎度、「今日はやるの、やらないの?」という心の問いかけに対し、

回答を出していかなくてはなりません。

また、好きな空手、とはいえ、忙しい時期も忙しくない時期も、

ほかのやるべきことは常に抱えています。

結論として、空手は「やる」のですけど、その決定により、

ほかのやるべきことは「やれない」ことになりますので、一瞬の逡巡はあります。

この逡巡の積み重ねが、私の場合、けっこうなストレスになっていました。

学生とはちがって、大人は家計を支えて
いかなくてはならないので、
空手をやらせてもらているだけでも、良しとしましょう

「決定」の訓練

ただそれでも、この決定の連続が良かったと感じるのは、

自分の意思で決める、ということの訓練になっている、という点です。

誰しも、日々の生活は「決定の繰り返し」だと思いますが、

私の空手は、やらなくても誰にも怒られません。

「誰かに怒られるかも・・・」、という事柄についてならば、比較的、決定は容易です。

怒られないようにするために「やなない」、もしくは怒られないために「やる」。

決定は、自然と誘導されていきます。

しかし、中年の空手は、やっても怒られない、やらなくても怒られない。(その反面、がんばったところで、誰にも誉められませんが)

よって、完全に自分の意思のみで、決定することになります。

これが、優柔不断な私にとっては、良い訓練になっています。

良くも悪くも、とにかく決める。

決めて、進める。

間違ったな、と思えば、軌道修正を決めて、また進める。

すべて、自分の意思で決定しているので、

その結果について、他人の責任にはしなくなります。

まとめ

ビジネスをしていると、年に何度か、重要な意思決定をしなければならないときがきます。

そういうときに、この決定の習慣は役に立ってくれるでしょう。

空手も、独立開業も、自己決定権を取り戻す闘いです。

強制されることなく、「自分で決定できる」、ということのプラスの意味を、

しっかり理解しておきましょう。

「継続」自体も成果のひとつ。成果物をできるだけ広く捉えよう