家賃をあてにしたセミリタイヤで、感じた怖さとは

お疲れ様です。

税理士の浅原です。

前回のブログで、セミリタイヤについて書いてみましたが、

どうも消化不良というか不完全燃焼のような感じなので、

もう少し、続きを書いてみようと思います。

閉め切った事務所の玄関。
あまりの暑さに、来客のない日は閉め続けています。

休みたいときに休めないのが嫌だ

現在44歳の私ですが、いままで、大会社の会社員、中小企業の会社員、

会計事務所の従業員、会計事務所の経営、個人会社の経営、などをしてきました。

34歳で独立しましたが、独立前と大きく変わったことの一つに、

「休みたいときに休める」と、

「休むかどうかを自分ひとりで決められる」というのがあります。

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会社に雇われていると、なかなか自分の好き勝手には休めません。

忙しいときには、会社員だろうと個人事業だろうと、そりゃ休めないのは当然です。

しかし、会社員の場合、会社に対して労働力を提供する、という約束事の中には、

「所定休日以外は会社に出てくる」ということも含まれています。

結果、業務量の少ない暇な日にも、会社に行くことになります。

もしくは、「午前中で仕事が終わってしまって、午後は暇だ」というときにも、

終業時間まで会社にいることが求められます。

やることがないのに、会社に残っていなければならない。

「なんでや!やることないなら給料いらんから、わしゃうちに帰りたい!」

その時の鬱屈した気持ちが、独立に向けて私を後押ししました。

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独立を決めてからは、理想的な独立プランについて、色々と調べました。

自分の持っているリソースと、想定されるプランについて照らし合わせながら検討を続け、

最終的には「賃貸経営でセミリタイヤ」+「余った時間で税理士業」という組み合わせでした。

独立してからは、休みたいときには、周りに気兼ねなく、

そして上席者に許可を得ることもなく、休めるようになりました。

(独立直後は、仕事自体がほとんどなかったですが)

おかげ様で、仕事がないのに休めないことへのストレスは、だいぶ減りました。

その反面、忙しいときに休めない、というのは、独立後も変わりません。

賃貸収入に頼り切りの人生は、怖い

賃貸経営によって、労働を伴わないで毎月収入を得られえると、

自身の労働意欲が激減します。

(実際には賃貸経営にも労働が必要ですが)

今まで平日毎日、夜10時頃まで働いて、ようやく手にしていたお金が、

独立後は、いままでの10分の1くらいの労働時間で、より多くのお金が入ってくるようになるので、

まあ致し方ないと思います。

ただ、私は、賃料収入に頼りっきりの人生は、会社員一筋の人生よりも、危険だと感じています。

賃料収入の元となるのは、賃貸物件のみです。

不動産ですから、普通なら、よほどのことがない限り、賃料収入が途絶えることはないだろう、と考えます。

確かに、現在の状況が、今後も続いてくれていれば、収入は途絶えないはずです。

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それでも私は臆病者なので、いろいろな危険性を考えてしまいます。

もし、日本が他国の戦争に巻き込まれたら・・・

もし、日本でクーデターが起きたら・・・

もし、日本の法律が変わって、不動産はすべて国の所有になってしまったら・・・

もし、日本でハイパーインフレが起きたら・・・

もし、日本で、感染したら二人人に一人が死ぬくらいの感染症が流行したら・・・

もし、大地震や津波や火事で、賃貸物件が壊れたら・・・

もし、賃貸物件が、殺人事件の現場になってしまったら・・・

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賃貸経営の前提となる条件が崩れてしまった、となったとき、

賃料に頼り切った生活で、自分の経験や知識を深める努力もせず、

また、日々の労働で体を鍛えもせず、という状況で長いこと暮らしてきた人間に、

生活の立て直しができるでしょうか。

賃貸物件が機能しなくなれば、残るのは、借金と緩み切った体だけ。

恐ろしくて、考えたくありません。

そんな事態が起きるか起きないかは、私にはわかりませんが、

何からの理由により、予定していた賃料が入ってこない、という事態は、常に想定しておくべきだと思います。

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私は、独立後しばらくセミリタイヤ状態でしたが、あるときから、税理士業に注力するようになりました。

収入は少なくても構わないから、税理士業で、日々、脳を鍛え、心を鍛え、体を鍛えておけば、

何らかの事情で賃貸物件が機能しなくなり、賃料収入が途絶えても、

最低限、家族を養っていくことはできるだろう、と考えてのことです。

その裏に、「セミリタイヤによってダラけまくったこんな生活では、とても想定外の事態には対応できない」、

という危機感があったのは、間違いないです。

完全なるリタイヤは、まだまだ先でよい

いま私の中で、セミリタイヤとは、「他者に奪われた自分の人生を取り戻す手段」という位置づけです。

労働時間という形で、会社に奪われた人生や意思決定の権利を、自分のコントロール下に取り戻す戦いです。

労働から解放されたい、という思いは、多かれ少なれ誰しも持っている願望です。

しかし、勘違いしてはならないのは、自分の意にそぐわない労働は、人生をつらいものにするけど、

労働そのものが悪なのではない、ということです。

私は、労働者が持っている逞しさ、労働の第一線にいるからこそ磨かれる技術や知識、

といったものが、とてもすばらしいものだと思っています。

労働そのものに、私は価値があると感じているので、

私自身も完全リタイヤするのは、まだまだ先にしたいと思います。

まとめ

ようやく、書きたかったことが書けた気がします。

労働から解放されてたとしても、サバイバル能力を下げてはいけない、と日頃から思っています。

それにしても、自分の内面を整理して文章にしていくのは、難しいです。

セミリタイヤについて考えている人の参考になれば、幸いです。