不登校のわが子とともに

お疲れ様です。

税理士の浅原です。

我が家には、2人の小学生の子どもがいるのですが、

下の子は、現在不登校の真っ最中です。

かれこれ半年ほど、ちゃんとした登校はできておらず、

短時間の登校か、お休みかのどちらかです。

不登校というと、それ自体にネガティブな印象があり、

トラブル、大変なこと、何とかしなきゃならないこと、

という意味合いになりがちですが、

わたし自身は、わが子が不登校であることを、

あまり気にしていません。

まあ、気にしても仕方がないし、

嫌がることを無理にさせる気にもならないし、

彼には彼の人生があるし、

という感じです。

不登校だと、勉強が遅れてしまう、

人間関係の作り方がわからないまま、

というデメリットもありますが、

それはそれで仕方ない、という気分です。

わが子が不登校であっても、気にならない理由を書いてみます。

子どもと一緒に勉強するのが楽しいから

現在わたしは、

午前中に子どもと一緒に勉強して、

午後に仕事の面談や訪問、

夜に書類作成、

という時間割で動くことが多くなりました。

子どもと一緒に勉強していると、わたしは結構楽しく感じます。

いま子どもは、難しめのひっ算にチャレンジしているところですが、

子どもの話を聞いていると、どこが理解の妨げになっているのか、

子どもがどういう思考パターンで物事をとらえているのか、

少しずつ見えてきます。

特に、難しい問題を一緒に考えながら解いているときが、楽しいです。

それと同時に、

わからない人に対して、わかるように嚙み砕いて説明する難しさも感じます。

そして、人間の集中力が、さほど長くは持たない、

ということにも改めて気付きました。

(うちの子は、好きなことなら、寝食を忘れてずっと取り組みますが、

そうでなものについては、30秒くらいしか持ちません)

つまりは、子どもと接している私自身が楽しいので、

あまり不登校であることが気にならない、ということですね。

こんな状況が、

教育的な見地から本当にいいのかどうかわかりませんが、

少なくとも私自身は、

「嫌がることを無理にやらせるよりは、よほどいい」と思っています。

そもそも、わたしも学校嫌いだったから

子どもが通っているのは、

かつてわたし自身も通っていた公立の小学校です。

公立ですから、

「その年」に「その地域」で生まれた子どもたちが、

まとめて通ってくる学校です。

それゆえ、みなさんも経験済みだと思いますが、

「いろいろな奴」と一括りにされて、いろいろなことをさせられます。

うちの子と同様、わたし自身もそれに馴染めず、

苦労したタイプです。

わたしの場合、勉強は嫌いではなかったのですが、

人付き合いが苦手だったのと、

運動が苦手だったため、体育の時間が極端に嫌いでした。

運動会があまりに嫌すぎて、運動会前日に思い詰めて、

「雨乞いの術」を図書館に調べにいくような、ガチの運動嫌いでした。

うちの子は、逆に運動大好きなので、

学校嫌いの理由はそこではないのですが、

理由は違っても、気持ちは理解できます。

理由は何であれ、嫌なものは嫌なのです。

わたしが、自身の子ども時代を振り返って思うのが、

「嫌なことをはっきり嫌だと言えたらよかったな」、ということです。

どういうわけか、

わたしはあまり人に心を開けない子どもでして、

問題は人の手を借りずに、自分で解決しなければならない、

という思考をしていました。

そういう思考で生きていくのは、しんどいですね。

わたしは、子どもには、

「嫌なことは嫌だとはっきり言えばいいよ」と伝えています。

そして、子どもが「嫌だ」と言った以上は、

その言い分を認めて、ちゃんと受け入れてあげなくてはならない、

と思っています。

元気でいてくれれば、それで十分だから

うちの子は、嫁さんのお腹にいるときに、

詳しい病名は忘れましたが、

とにかく出産にあたって難しい状況になってしまい、

常に流産の危機に晒されていました。

出産するまでの半年間、嫁さんは、

実家で体を動かさないように、寝たきり生活をしていたくらいです。

無事に出産できたときには、本当に安心して、

「この子がいてくれれば、ほかには何もいらんな」と思いました。

それから9年、

やはり日常生活を積み重ねてくると、

のど元過ぎれば熱さ忘れる、なのか、

目先の課題対処が最優先になりがちです。

初心忘れるべからず、という姿勢は、大切ですね。

9年前に立ち返れば、いまの不登校の状況は、

妊娠中に「元気に生まれてさえくれればよい」と切望した状況を、

十分に満たしていることに気付きます。

「学校に行くのは、ぜったいに嫌だ」というわが子を見ていると、

ときには不安になることもあるのですが、

そういうときは9年前の自分が、現在の自分に、

「ぜんぜん大丈夫だよ、元気でいてくれれば、それだけで十分じゃねーか」

と話しかけてきます。

「そうだな、無事に生まれるかどうかもわからなかったんだから、

いま元気でいてくれてるなら、ぜんぜん問題ねーな」と、

9年前の自分と会話して、勝手に納得しています。