「高卒で本当に良かった」と思えたとき

お疲れ様です。

税理士の浅原です。

わたしは、大学について詳しくありません。

入学も卒業もしたこともないので。

学歴としては、「高卒」になります。

実際には、地元の商業高校を卒業したあと、

東京の会計に関する専門学校に進みました。

その専門学校は、当時予備校というか、職業訓練校みたいなものでしたので、

いちおう、わたしの学歴にはカウントしていますけど、

大学は卒業していないということで、

基本的にわたしはいままで、高卒として扱われてきました。

この学歴について、わたしは強いコンプレックスを抱いています。

学歴の話になると、途端に劣等感丸出しになります。

そんなわたしですが、

最近「大学を出ていなくてよかった」と思えることがありました。

下の子と二人で散歩

学歴コンプレックス

いままでの人生で、

何度か学歴のカベにぶつかってきましたが、

最もカベを感じたのは、初めて入社した会社でした。

そこは、全国から優秀な人材が集まってくる会社でして、

同期だけでも300人くらいはいたと思うのですが、

そのほとんどが大卒の人たちで、高卒で入社してきたのは、

わたしを含めて3人だけでした

仕事自体は楽しくやれていて、

いろいろトラブルもありましたけど、充実した時間を過ごせました。

ただ、その会社の人事評価で、わたしはけっこう傷つけられました。

というのは、

大学を出ていない社員については、どれだけがんばって働いても、

入社後の2年間は、評価されないことになっていたからです。

高卒や専門学校卒の社員が、大卒の社員と同じように人事評価の対象になるのは、

入社後3年目から、というシステムになっていました。

そのシステムを、労働組合から聞かされた時には、

かなりショックを受けました。

「俺、この2年間、働いたことになってないのか」と。

仮に上司から、

「浅原は一般教養が足りない。大卒の同僚に倣って、もっと勉強しろ」

と評価されて、評価ポイントはゼロでした、

となるならば、まだ納得感もあるのですが、

そもそも、評価対象になっていないと。

さきほど触れたとおり、

「社員の99%が大卒」という会社だったので、

この2年縛りの影響を受ける社員は、ごくごくわずかです。

(というか、存在することすら認識されていないのでは・・・)

それに、3年目からはちゃんと評価の対象になるので、

知らない人は知らないまま進んでいってしまうし、

知ったとしても、気にしてもしょうがない、

と思う人の方が、多いでしょう。

ある意味、

大卒の人ばかりが揃う会社に、

大学に行っていない自分が入社できた、というのは、

光栄でもあります。

大卒並みの人材、と見てもらえたのかもしれません。

ただ、それならば、

わたしもほかの人と同じように扱ってほしかった、と思います。

きっと、その人事評価のシステムも、

悪気があって決められたものではないのでしょうけど、

落とされる側からすれば、納得感はゼロでした。

大学を出ていなくてよかった

司法試験の受験、転職、結婚と、

事あるごとに大卒のカベにぶつかってきました。

「大学出ときゃ、もっと楽な人生だったなー」と、何度も思いました。

でも、いまは、

大学を出ていなくてよかった、と思います。

大学は、卒業してしまったら、

「大卒」になってしまいます。(あたり前ですね)

大学を卒業したのに、「最終学歴は高卒です」だと、

ウソになってしまいます。

その点、わたしは、

「高卒」というポジションで、ウソなく行けます。

ところで、

発した言葉の説得力の源は、

その人の「経験」にあると、わたしは思っています。

知識ではなく経験です。

「実際にやってみた」という経験が伴うことで、

言葉に重みが増す、と日ごろから感じています。

戦争体験や被災経験は、まさにその極みですね。

わたしは、大学を出ていない人間として、

「大学に行かなくても、人生何とかなる」ということを、経験してきました。

傾向としても、

人がたくさん集まるところでは、人間同士で上下関係を作りたがるので、

学歴重視になりがち。

逆に、単独で動く人たちは、

学歴以外のこと(行動力、アイデア、ウソをつかないなど)を重視しがち。

そして、学歴のカベの外側にも、広い世界が広がっていることを、

わたしは見てきました。

だから、自信を持って言えます。

「大学に行かなくても、人生何とでもなる」と。

中学校を中退できないか、先生に相談したり、

高校では、何度も中退に向けて親と相談してきたような、

根っからの集団行動嫌いのわたしでも、

生きていくことはできる、と。

うちの子どものこと

うちの下の子の不登校が、板についてきました。

子ども自身は、学校に行っていないことについては、

あまり気にしていないようで、

家では元気にゲームをしたり、わたしをからかったりしています。

ラピュタに出てくる「ムスカ」という悪役がお気に入りで、

わたしにいつも、「ムスカに関するクイズを出してほしい」と言ってくるので、

オリジナルのムスカ台詞クイズを出してあげると、完璧に回答してきます。

ラピュタ以外に関しても、記憶力がふつうじゃない感じです。

うちの嫁さんは、

「子どもがこのままだと、勉強が遅れてしまって大学に行けない」と嘆いています。

まあ、気持ちはわかります。

大卒の嫁さんは、大卒以外の生き方を知らないので、

この点は仕方ないです。

ただ、大学に行っていないわたしは、

「大学に行かなくても、生きていく方法はいろいろある」

ということを、経験的に知っていますので、

あまり学習のことは気にしていません。

真に身につけるための学習は、

その必要性を感じてからでないと、無理なので。

学習時期が平均値から4~5年遅れたとしても、

挽回することは、その気になればいくらでもできるので。

逆に、万が一、わたしが大卒だったら、

ここまで子どもの不登校を、受け入れることができなかったかもしれないと思うと、

その方が怖いと感じます。

わたしは今まで、

「たくさん持っている」方がいい、と思っていました。

「たくさん持つ」ことを目指して生きてきました。

でも、

「持っていない」からこそ、

見えたり感じたりすることもあるんですね。

「持っていないこと」が武器になる、

そういう状況であることに気付いて、

新鮮な感じです。

君は、写真を撮ろうとすると、すぐに顔を背けるね。
まあ、かまわんけど。