親とともに過ごす時間

お疲れ様です。

税理士の浅原です。

現在46歳であるわたしには、

70半ばの父と母がいます。

両親ともに、自宅の近所に住んでいますので、

両親の迷惑にならない範囲で、

ちょっとした用事でも顔を出したり、

届け物をしたりするようにしています。

あと、どれくらい両親とともに居られるのか、

わたしの考えを書いてみようと思います。

父の運転で、三保のお客様まで送ってもらう

残された時間

ネットで調べたところ、昨年の平均寿命は、

男性が81歳、女性が87歳、

ということでした。

仮にこれを、うちの両親に当てはめると、

父があと6年、母があと12年で、

寿命を迎えることになります。

もうあまり、残された時間がない、

特に父の方は、孫が成人するまでもちそうにないです。

生存しているだけでも、

わたしにとっては大きな存在である父と母ですが、

「生存期間」ではなく、

「コミュニケーションをとる時間」となると、

さらに少なくなります。

仮に、

週に1回、15分くらい会って話をする、としますと、

つぎのような計算になります。

父・・・15分 × 50週 × 6年 = 4500分 = 75時間 = 3.1日

母・・・約、父の2倍=6.2日

父は、ざっくり計算で、

あと3日分しか、一緒に会話をすることができないことになります。

一気に、短縮されましたね。

さらにいうと、

父が、まだ元気な状態で、

自宅にいながらにしてコミュニケーションをとれる期間となると、

この半分くらいかもしれません。

両親ともに、

いままでどおりコミュニケーションをとれる時間は、

あとわずかしかない、ということです。

順番に死ぬのがベスト

ただ、この点は、

致し方ないとあきらめています。

なぜなら、やはり、

年齢順に死んでいくのがベストだからですね。

何らかのアクシデントでこの順番が狂ってしまうと、

その先の道のりは、苦しいものになりますね。

世の中には、そのようなケースがたくさんありますし、

わたしの身近なところでもありましたけど、

わたし自身にはそのようなことは今のところないので、

幸いといえます。

このことは、

経験していない人間が、想像で書くべきでない、と思うので、

これ以上は書きません。

心配事はない方がいいのか

人生の本番を迎えるとき(私は死ぬときのことを、そのように捉えています)に、

この世に心配事を残さない方がいいのかどうか。

なんとなく、心配事が少ない方が、

あの世に行きやすいような感じがしますね。

死んだ経験がないのでなんともいえませんが、

個人的には、わたしが死ぬときは、

できるだけ心配事を抱えていたい、と思っています。

自分の現状を見ても、

心配事をすべて解消する、なんて不可能ですし、

わたしからすると、心配事がないというのは、

世間との接点を持っていない、というような印象を受けます。

いろいろな心配事や悩み事がある、というのは、

言い換えれば、

「いろいろな人と関係して、それぞれの人の心配事について、自分の心に留めている。

解決の糸口が見つかることを期待しながら・・」

という状態だと思います。

年老いてなお、多くの人と接しながら、

人々の悩みに心を砕いている、という人生は、

わたしからすると、すばらしい人生です。

父や母も含めて、人の心の内はわたしにはわかりませんけど、

わたし自身はこんな風に考えているので、

父に送迎をお願いするときは(もともと父は、中距離トラックの運転手だったため、運転技術はわたしより優れている)、

助手席から、仕事のことや孫のことでの悩みを、

ベラベラと話しています。

父にも母にも、多くの心配事を抱えて、

この世に未練タラタラの状態でいてほしい、

と願っています。