「恐怖心」と「危険性」

お疲れ様です。

静岡の税理士、浅原です。

唐突ですが、フルコンタクト空手の大会に出ることにしました。

今年の秋に行われる地方大会で、同じ9月に、磐田と沼津の両方で行われるのですが、

そのどちらかに出ることにしました。

勝ち負けという結果よりは、

今までやってきた「同じメンバーでの同じ内容の空手練習」から、

「初めて会う人と会ったその場でファイト!」という大会に参加することで、

自分の空手のステージを一段上げたい、という思いでいます。

そういえば、昨年もこの同じ時期に、大会参加者募集のお知らせがありました。

しかし昨年は、そのお知らせの日に肋骨を折ってしまったので、早々に参加不可の状態になりましたが、

仮に骨折がなかったとしても、大会参加はできなかったと思います。

怖いので。

でも、今年は大会参加にあたっての恐怖心は少なく、胸中にあるのは、

「試合中どのように危険をコントロールするか」、

「そのために今なすべき準備は何か」、という考えです。

そして、そのことを考えているときに、

「あれ、これってサラリーマンをやめて独立したときに似ているな」と思いました。

上段蹴りを出すものの、あっさりM田選手にブロックされる。
中年なので、もう足が上がらない。

危険とは

例えば、現在の私が空手の大会に出るにあたり、どのような危険があるのか拾いだしてみます。

  • 打撲、突き指などの軽いケガをする危険
  • 指先や肋骨の骨折など、中程度のケガをする危険
  • 大腿骨や上腕部といった太い骨の骨折という重症を負う危険
  • 顎・歯・鼻の骨折、目の損傷といった、個人的に絶対避けたいケガを負う危険
  • 重症を負った場合に、車を運転できなくて、現地から自宅に帰れないという危険

ひとつひとつ、客観的で具体的なものであるのが「危険」です。

想定外のことが起こる危険、というのもあります。(金的や首などの反則部位へのダメージなど。フルコンではしょっちゅうありますけど)

客観的で具体的な危険であるなら、それぞれに、回避手段があるのかどうかの検討が可能になります。

私の場合、次のような戦略、戦術になります。

  • 軽傷、中傷は受け入れる。
  • 重傷を避けるために、体重70キロ以下のクラスに参加する(以前、70キロ以上のクラスにボブ・サップみたいな人が参加しているのを見た。73キロの私では勝負にならない)
  • 重症を避けるために、常時、足を動かし続ける、決して一か所に留まらない(動いている相手にクリーンヒットを効かせるのは至難)
  • 顔の損傷を避けるために、ヘッドガード着用のクラスに参加

こうして見ると、すでに勝ち負けではなく、

「無事に帰宅する」という点が目標になってしまっていますが、いいんです。それで。私は。

家庭もあるし、仕事もあるし、そう簡単に重症を負うわけにはいきませんから。(審判もいますし、そう簡単に重症を負うこともないと思いますが)

恐怖心とは

私は「恐怖」とは、「不安感の強烈なもの」だと解釈しています。

初めてチャレンジするものには、たいてい恐怖心がついて回ります。

今までやったことのないことですから、

どういったことが自分の身に振りかかるかわからないわけですし、

ある意味、初めてのことに不安が強いのは当然です。

私自身、もともと慎重なタイプなので、他人よりも恐怖心を感じやすい性質です。

ただ、いままでの経験上、事前に感じた恐怖というのは、

実行に移してみると杞憂に終わることも多々あります。

私の経験で分かりやすいのは、銀行借入です。

億単位の借金をするのは、最初はどうしても恐怖心が勝ってしまいます。

億の借金は、一般人が働いて返せるレベルのものではないですし、

ビジネスが軌道にのるかどうかの結果部分は未確定なのに、

「借金は必ず返さなくてはならない」という点だけは確定してしまうからです。

それでも、借金をしてビジネスをしていけば、銀行対応の手段として、

いろいろな手口(すべて合法です)が用意されていることがわかってきます。

追加融資、

折り返し融資、

複数の融資をまとめて長期借り換え、

返済停止、

破産手続きなど、

冷静に対処できれば命まで失うことはありません。(経済的精神的な苦労はするでしょうけど)

思うに「危険性」とは、客観的に捉えることが可能な現実的なものであり、

その事柄の危険度と自分の対処能力の程度によっては、

低く抑える、もしくは完全回避も可能である。

それに対し、「恐怖心」とは、

その事柄を客観的に捉えることができないために、防衛本能が自分を守ろうとして、

その事柄を遠ざけようとする心理状態である、ということ。

すなわち、

自分が「危険性について考えている」ならば、

それは事柄を客観的に把握した、もしくは把握しにかかっているという前向きな状態であり、

逆に「恐怖心を感じている」ならば、

客観的に把握できていない状態、漠然としかとらえられていない状態、といえます。

双方、似たような印象の認識ですが、中身は全然違う、

ということに気付きます。

意欲と準備行動

捉えどころのない「恐怖心」は、

それを乗り越えて先に進みたいという「意欲」と、

乗り越えるための「準備行動」によって、

より輪郭のはっきりした「危険性」に変化させることができます。

フワフワっとした重たく暗いスモークを、

小分けしてギュッと圧縮するようなイメージです。

恐怖心がフワフワっとした状態のままだと、そこに自分が飲み込まれてしまいますが、

それをギュッと圧縮できれば、今度はこちらがその危険を飲み込むことができます。

おそらく、リスクをとってビジネスを発展させている人達は、

そういったことを自然にやっているのでしょう。

考えてみれば、危険性のないものは、魅力もありません。

空手の試合も、一切のケガの危険を排除するために、

打撃は当てない、

万が一当たってもケガしないように全身を固い防具で包む、

体重差のある相手とは戦わない、

緊張しないように個室で戦う、など、

殺菌消毒をしすぎると、まったく魅力がなくなります。

ビジネスも、だれがやってもうまくいく、絶対失敗しない、というものがあるとすれば、

おそらくリターンもほぼゼロ、面白み味はないでしょう。

危険性はある、だから魅力的。

まとめ

恐怖心と危険性、意欲と準備、そして危険性だからこそ感じる魅力について、書いてみました。

このブログも、あまり殺菌消毒しすぎずに、危険な要素を少しだけ残しておきたいです。

昨日の仕事

  • 清水区三保のお客様の月次データの入力
  • 事務所のパソコン入れ替え

新しいPCが、ネットワークプリンターを認識してくれなくて、時間をだいぶロス

でも、こういうことを自分で対応していかないと、ITに強くなれない