「失敗」は「終わり」ではない

お疲れ様です。

税理士の浅原です。

わたしは、ときどきチャレンジをして、

その結果、失敗することがよくあります。

仕事、プライベート問わず。

ただ、失敗は、「終わり」ではありません。

失敗した結果、「次のチャレンジはしない」、

つまり「自ら終わらせる」ことはありますが、

失敗そのものが「チャレンジ終了」を意味するわけではありません。

ファッションでも、「チャレンジ」と「失敗」はセットです。私の場合は。

最近の失敗例

税理士業、不動産賃貸業、プライベートそれぞれにおいて、

直近の失敗としては、つぎのようなものがあります。

  • 攻撃性の高い人物を有する顧客に対して、ディフェンス面を意識しなかったため、あるとき不意打ちを受けた
  • 昨年買った賃貸マンションが、購入時に見抜けなかった不具合の大量発生により、労力と資金を大量に失った
  • 空手の試合の直前に、大きなケガが立て続けに発生してしまい、満足に練習できないまま試合に出場し、さらなるケガを負った

「顧客の攻撃性の高い人・・」というのは、

その時点ではチャレンジを伴うものではありませんでした。

どちらかというと、いま現在、

そういう顧客とどのようにして向き合うか、

というチャレンジをしている状態です。

(その会社の信頼している社長から、「どうしても浅原に続けてほしい」と言われて、やむなく・・)

「賃貸マンションが不具合ばかり」というのは、

別のブログでも書いたのですが、

わたしの見立てが甘く、見抜くことができなかった施工不良が、

購入後に大量に発覚して、昨年は相当苦しい思いをしました。 

そのマンション、

購入時点で、「まあまあボロい」ということは認識していたのですが、

立地、利回り、資金手当てと、

それぞれ良好な条件を揃えることができたので、

わたしとしては、チャレンジとして取り組んでみた案件でした。

「試合の直前にケガ連発」というもの、

投稿動画でしゃべっているのですが、

自分のポテンシャル(骨折しやすい、スタミナがない、もういい歳・・)をわかっていないがために、

初めての試合出場に浮足立って、張り切ってしまった結果です。

やはり、チャレンジ自体にリスクがある以上、

チャレンジを続ける限り、

どうしてもこういうことは起きてしまいます。

今後も間違いなく、似たようなことは起きるでしょう。

それでもわたしは、チャレンジを続けるつもりです。

チャレンジが可能な限りは。

だって、楽しいから。

痛いけど。

昨年購入したマンションの壁内。
石こうボードをめくったら、
サビサビのグチャグチャの
ボロボロでした。

大事なのは、失敗したあとのリカバー能力

心にも体にも激痛を走らせるチャレンジ案件ですが、

それでも、そういった負担を和らげる工夫をしながら、

チャレンジ自体は続けていきたいです。

そのときに大事なのが、「失敗をリカバーする能力」です。

リカバーとは、「回復させる」ことですね。

失敗によるダメージを抑えて、継続可能な状態に回復させる能力です。

リカバー能力と一言でいっても、

失敗のジャンルや程度、関係者の支援など、

リカバーの際には、多くの要素が絡んできますので、

リカバー能力について説明するのは難しいですね。

ただ、わたしの場合、常に心掛けているのが、

失敗時には、素直に状況を受け入れて、

「じゃあ次、どうする」という精神状態に、できるだけ早くもっていく、ことです。

「次、どうする」という思考に戻れれば、

「次はこうするしかないよね」、

「これもやっといた方がいいよね」、

「あの人には、一応報告しといた方がいいよね」と、

具体的な行動に移すことができます。

状況がまた動き出せば、失敗というのは、

「ダメだった瞬間を切り取った一場面」にすぎない、

ということに気付きます。

というか、

失敗そのものが、あまり気にならなくなります。

まあ、忘れることはないにしても、

いちいち気に留めなくなります。

初めて自転車に乗るときに、

「コケるな」と言っても無理ですよね。

最初から「コケちゃだめ」と言われたら、

自転車に乗れるようになる日は、永久に来ないでしょう。

わたしはまだ、

できるようになりたいことがいろいろあるので、

これからも多くの痛い目を見るだろうと思います。

「失敗」と「細胞の活性」

これはあくまで、私見ですが、

成功したときよりも失敗したときの方が、

細胞の活性が高まるように感じます。

チャレンジが成功すると、

一時的にリスクから解放されるので、

細胞が休息状態になるように感じます。

それに対して、チャレンジが失敗すると、

想定していたリスクが、失敗と同時に現実化しますので、

平時から有事の精神状態に切り替わります。

ただ、

それが細胞には適度な刺激になって、いいのかもしれません。

リスクが現実化したときや、トラブルに対応しているときは、

その真っ最中は大変な思いをすることになりますけど、

終わってから振り返ると、

「生を実感している」ということが多いです。

あくまで、わたしの場合ですけど。

もちろん、

二度とあんな目には会いたくない、ということがほとんどですけど。

ただ、それでも、

「危機を乗り越えてきた」という事実が、

次のチャレンジの原動力になって、

何度かチャレンジを繰り返しているうちに、

「当たり」を引くこともあります。

そんなわけで、わたしは、

「たくさんのチャレンジ」と「たくさんの失敗」と「ひとつの当たり」を、

いつもセットで考えるようにしています。